“Jane Monheit”(ジェーン・モンハイト)美人ジャズ・シンガーの横顔は!?

“Jane Monheit”(ジェーン・モンハイト)は、ニューヨーク州オークデール出身のジャズ・シンガーで、澄みきった歌声と圧倒的な歌唱力で、彼女が歌うとお馴染みのスタンダード・ナンバーが別次元の曲に感じてしまうほどの力を持っています。その比類なき歌唱力の源はどこにあるのかながめていきたいと思います。

“Jane Monheit”(ジェーン・モンハイト)のプロフィール

・本名:”Jane Monheit”(ジェーン・モンハイト)
・職業・肩書:ジャズ・シンガー
・出生地:Oakdale Longisland N.Y. ニューヨーク州ロングアイランド、オークデール
・生年月日 1977年11月3日

2歳で”Over the Rainbow”を歌う

祖母と叔母がプロのオペラ歌手、父親は工作機械事業を営むかたわらにブルーグラスをバンジョーとギターで演奏、母親は音楽や演劇を学んだという音楽一家の出身です。
最初に”Jane Monheit”が”Over the Rainbow”を歌ったのはなんと2歳のときでした。(私が、この”Jane Monheit”が歌っている”Over the Rainbow”を最初に聴いたときは、震えるほどの感動をおぼえました。)

他にも、代表的なアルバム”Taking A Chance of Love”のオープニング・ナンバー”Honeysuckle Rose”もほぼ完全なピッチで歌ったというから驚きです。
“Jane Monheit”は、母親から”Ella Fitzgerald”をはじめとする歌手の歌や演奏を聴いては、音楽を学んでいきました。
また、”Sarah Vaughan”(サラ・ヴォーン)や”Carmen McCrae”(カーメン・マクレエ)などの本物志向の昔ながらのジャズ・シンガーに触発されました。
彼女の家では、いつもジャズ音楽が演奏されていて、小学校区の”Connnetquot”は、小学校から始まる多くのジャズ・プログラムが開催されていました。
そうした音楽環境で育った”Jane Monheit”はジャズやブロードウェイミュージカルに陶酔していきました。

9歳で”Ella Fitzgerald”を語る

ニューヨーク州ボヘミアにある”Connetquot High School”(高校)時代にはクラリネットと音楽理論を学びながら、地元のジャズ・クラブでプロのミュージシャンとして歌い始めました。
この時の恩師に、”John Leddy”(ジョン・レディ)という方がいて、”Jane Monheit”を小学校の4年生のときから見ていました。
恩師の先生は、9歳になる”Jane Monheit”を特別な生徒だと思っていました。
その年齢で”Ella Fitzgerald”のことを語っていたり、歌詞を解釈する能力や”Blue Note”を理解する能力に長けていたからです。
また、ロングアイランドにある”South Shore”というクラブにも出演していました。

ヴォーカル・コンテストで準優勝

ジャズ教育の名門”Manhattan School of Music”(マンハッタン音楽院)に入学し、”New York Voices”の創設メンバーである”Peter Eldridge”(ピーター・エルドリッジ)に師事し、歌唱の指導を受けました。

1998年には、彼女がマンハッタン音楽院の3年生のときに、Washington, DC.で開催された”Thelonious Monk Jazz Institute’s vocal competition”
(セロニアス・モンク・コンペティション)のヴォーカル・コンテストに参加しました。
“Jane Monheit”は、最初は、”Peter Eldeidge”のすすめるままに参加したこのコンテストの重要さについては無頓着でした。
準決勝のときに、”Wayne Shorter”(ウェイン・ショーター)が部屋に入ってくる姿を見つけてこのコンテストの重要さに初めて気が付きます。
決勝戦では、レコード会社の役員や音楽関係のプレスらが新しい才能を発見しようと顔をそろえていました。
審査団のなかには、”Diana Krall”(ダイアナ・クラール)の姿もありました。

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決勝の舞台では、デビュー・アルバム”Never Never Land”にも収録されている”Detour Ahead”を歌い聴衆から大喝采を浴び、みごとに準優勝を獲得しました。

そのときの最優秀賞は、伝説的な歌手でピアニストの”Teri Thornton”(テリー・ソーントン)でした。

“Taking a Chance of “ジャズの名声・・・

2000年に、”Jane Monheit”が22歳のときに、”Never Never Land”(邦題:マイ・フーリッシュ・ハート)でメジャー・デビューしました。
続く、セカンド・アルバム”In the Sun”では、ジャズのスタンダード・ナンバーの”Cheek to Cheek”で、愛くるしいしぐさを見せ、その美貌と表情豊かなしっとりした歌声を活かした正統派ジャズ・スタイルで、世界のジャズ・ファンを虜にしました。
続く、アルバム”Taking a Chance of Love”は、リリースの最初の週の間に、ビルボード誌のポップチャートに入り、トラディショナルジャズチャートで第1位を記録しました。
収録曲の”Dancing in the Dark”は、ベストインストゥルメンタルアレンジメントの伴奏ボーカルでグラミー賞にノミネートされるなどの高い評価を受けました。

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その後、”Surrender”、”Lovers the Dreamers & Me”などのいくつかのアルバムのリリースを経て、ジャズのスタンダード・ナンバーや、ポップ・ミュージックのカバー曲を安定した歌唱力を武器に歌ってきました。

個々のアルバムの詳しい説明はこちらから↓

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2013年4月には、”The Beatles”の”Golden Slumbers/Long and Winding Road”や”The Carpenters”のSing”などを含んだ厳選されたカバー曲の
コレクションのアルバム”The Heart of the Matter”をリリースへと続きます。
特に”The Golden Slumbers”のテイクは、今まで聴いてきた”The Beatles”のカバーの中でもっともエレガントな仕上がりになっているのではないでしょうか。

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自身のレーベルで”Ella Fitzgerald”トリビュート・アルバムをリリース

15年というキャリアの中で、5社のレコード・レベルを経て、彼女自身のレーベル”Emerald City Records”より、”The Songbook Sessions,an homage to Fitzgerald”を
リリースしました。
彼女自身のレーベルを立ち上げた理由として、今までのレーベルでは彼女の本当にやりたかったことができなかったからと言っています。
ポップ・ミュージックのカバーやブラジルの音楽も好きだけど、今でもスイングしたいし、もっとジャズらしいアルバムを作りたいというのが
新レーベル立ち上げた理由だと語っていました。
ポップ・ミュージックのカバーは、”Over the Rainbow”、ブラジルの音楽は、”Sergio Mendes”の”So Many Stars”あたりを指しているのだ思いますが、
本当にすばらしい楽曲に仕上がっていました。

本作の”The Songbook Sessions”は、”Ella Fitzgerald”へのトリビュート・アルバムの性格のものですが、”Jane Monheit”自身は、”Ella Fitzgerald”
に関してこう語っています。
「”Ella Fitzgerald”は、私がもっとも音楽的な影響を受けたひとですが、音楽スタイルの影響を受けたわけではなく、私が本当に得たものは、彼女の温かさ、魅力、彼女が音楽に注ぐ喜びです。」
また、アルバムを制作する上で次のような意識を持っていたようです。
「”Ella Fitzgerald”が1950年代に作っていたような記録を作るつもりはありませんでした。私たちが彼女について愛したものを『今』に取り入れた方のです。」

上記のアルバム・コンセプトのもと、”Nicholas Payton”(ニコラス・ペイトン)がCDをアレンジして制作しました。
彼はほとんどのトラックでトランペットを演奏し、最後の2曲ではピアノやオルガンを演奏しています。

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