“Sunny Sweeney”(サニー・スウィニー)は、テキサス州出身のカントリー・シンガーで、シンガー・ソング・ライターとして曲作りも行っています。しかし、カントリー・シンガーへの道のりも決して一直線ではなかったようです。その興味深い彼女の一面を探ってみたいと思います。
“Sunny Sweeney”(サニー・スウィニー)のプロフィール
・本名:”Sunny Michaela Sweeney”(サニー・ミカエラ・スウィーニー)
・職業・肩書:カントリー・シンガー
・国籍:米国
・出生地:Houston, Texas テキサス州、ヒューストン
・生年月日 1976年12月7日
New Yorkへ旅立った目的は・・・
“Sunny Sweeney”はテキサス州ヒューストンで生まれました。
幼少期は、テキサス州のロングビューで育ちました。
“Merle Haggard”(マール・ハガード)と”Loretta Lynn”(ロレッタ・リン)などを聴いていましたが、高校時代に学園祭で”Dolly Parton”(ドリー・パートン)の”9 to 5″を歌い注目を集めました。
その後、テキサス州の州都である”Austin”オースティンに移り住み、”Southwest Texas State University”(サウスウェストテキサス州立大学)に行きました。
オースティンは、カントリー、ブルース、ロックを中心とするさまざまなライブ音楽シーンが盛んなことでも知られています。
しかし、彼女は大学を休校してニューヨーク市に引っ越しました。
そこでの生活は、音楽の追求をするわけでもなく、コメディー・サーキットと呼ばれる定期的に演奏するさまざまなイベントへ出演することでした。
イベントのパフォーマーとして働くかたわら、犬の散歩、乳母、ウェイトレスなどの短期の仕事でつないでいました。
こうした様々な仕事の経験は、観察能力を研ぎ澄まし、彼女の作詞作曲の鋭敏さと共感を形作ったものであると思います。
ニューヨークへ旅立った理由を演技の勉強というよりも「単に、学校が嫌いだったから」と後から彼女は語っています。
その後、テキサスに戻り、大学では”Public Relations”(広報)の学位を取得しました。
大学卒業後、徐々にミュージシャンとしてのキャリアを積むことを考え始めました。
そんな彼女の背中を押したのが、かつてのコメディアン仲間と義父でした。
特に子供の頃にギターの和音を教えようとした義父に励まされて、”Sunny Sweeney”はギターを拾い、練習を始めるようになったのです。
2004年にオースティンの”Carousel Lounge”(カルーセルラウンジ)で最初の実際のギグを演奏し、テキサス州を拠点に活動を始めました。
彼女が出演する各地での”honky tonks”(カントリー・ミュージックを演奏するバー)でのライブは聴衆を釘付けにしました。
自主レーベルからデビュー・アルバムを発表
2006年3月に、”Tommy Detamore”のプロダクションの助けを借りて最初のアルバム”Heartbreaker’s Hall of Fame”をリリースしました。
最初は、自主レーベルでのリリースでしたが、地元のテキサスで人気を高めた後、独立レーベルの”Big Machine Records”と契約を交わし、2007年には、”Big Machine Records”からの再リリースとなりました。
このアルバムからは、”If I Could,” “Ten Years Pass” and “East Texas Pines”の3曲が地元テキサス限定のシングル・カットとなりました。
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2009年、”Sunny Sweeney”は、”Big Machine”と”Universal Republic Records”との間に新しく設立された合弁会社、”Republic Nashville”の
最初のアーティストとして契約しました。
このレーベルから2010年6月28日に最初にリリースされたのが、セカンド・アルバムの”Concrete”の収録曲”From a Table Away”です。
ロック・ミュージック路線への転換は功を奏し、”US Billboard Hot Country Song”チャートでは、リリース直後に58位を記録し、2011年3月に、この曲はチャートのトップ10に入りました。
2011年8月23日に、セカンド・アルバム”Concrete”がリリースされるのですが、ファースト・シングルがリリースされてから実に1年後のアルバムの発表となりました。
その後、”Staying’s Worse Than Leaving”と”Drink Myself Single”を、それぞれアルバムの2番目と3番目のシングルとしてリリースするのですが、どちらも”US Billboard Hot Country Song”チャートでの記録はでのトップ40とマイナー・ヒットに終わりました。
“Staying’s Worse Than Leaving”は、ヒットした”From a Table Away”と同じくらいのポテンシャルをもった優れた楽曲だと思うので、正直もっと売れてもよかったと感じます。
アルバム収録曲の”It Wrecks Me”は名曲で、ロック・ミュージックのチャートでも上位を狙えるのではないかと個人的には思っています。
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2012年、”Sunny Sweeney”は、”Big Machine Records”との契約を解消し、翌年の2013年には”Thirty Tigers”のレコードレーベルと契約を結びました。
2013年のアカデミーオブカントリーミュージック(Academy of Country Music (ACM) )の”Top New Female Artist category”
(トップニューフィメールアーティストカテゴリ)にノミネートした直後のことでした。
2014年6月に、新しいレーベルからの最初のシングル曲”Bad Girl Phase”がリリースされました。
2014年8月5日には、3作目となるスタジオ・アルバム”Provoked”がリリースされました。
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“Trophy”は自叙伝的アルバム
2017年3月10日にリリースされた”Trophy”はある意味”Sunny Sweeney”の”autobiography”(自叙伝)ではないかと思います。
オープニング・ナンバーの”Pass the Pain”は、”It’s a drinking song”と”Sunny Sweeney”自身が語るように、飲酒がテーマの曲です。
この曲は、彼女にとってお馴染みの舞台である「バー」にて展開されます。
“Bartender”と語りかけた後に、彼女の独白がスティール・ギターとピアノの伴奏にのって続きます。
彼女が実際に経験した離婚による心の痛みを綴っています。
お酒を注ぎ続けることでその痛みは癒されることなく、かえって増幅させていくもの悲しさを感じます。
また、同アルバムに収録されている”Bottle by My Bed”は、「不妊」がテーマとなっています。
“Sunny Sweeney”自身の子供がいないことの苦痛(彼女の言葉では”It’s the worst pain ever”)、流産という悲痛な経験をありのままに訴えています。
タイトルの”Bottle”は、誰もが想像するウィスキーのボトルではなく、「哺乳瓶」というのが切ないです。
“Sunny Sweeney”のパーソナルな出来事や感情を綴ったアルバム”Tropfy”の目的について、彼女はこう語っています。
「このアルバムを聴いた人が、『一人じゃない』、『インスピレーションを得た』、『または笑いたい』という気持ちになってほしいし、私は彼らに何かを感じて欲しいだけです。」
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路上生活?ガソリンスタンド・スナック?
4枚のアルバムをリリースした後も、”Sunny Sweeney”のアメリカ各地を巡るツアーは続きました。
車で移動するツアー”life on the road”「路上での生活」と形容し、
“life on the road hasn’t gotten any more glamorous,lots of gas-station chips and Cokes”
そんなに魅力的なものじゃないわ。スナックとコーラであふれているわ」とユーモアたっぷりに語っていました。
“Denver”(デンバー)で行われるショーのための移動中に、空港の手荷物受取所で荷物を受け取ろとしたときに酒の強烈なにおいを感じた”Sunny Sweeney”は、誰かが持ち込んだウィスキーのボトルが破裂して、彼女のスーツケースにしみこんでしまったことに気が付きました。
おかげで、シャンプーとマウス・ウオッシュを使ってスーツ・ケースをバス・タブに浸して洗うはめになってしまうという彼女らしいウィスキーにまつわるエピソードがありました。
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